リターナブルびんという言葉を皆さんはご存知でしょうか?
皆さんが購入し使用した後の商品の空きびんを、返却、詰め替えすることで再使用する、というものです。
日本ではガラスびんが普及し始めた明治時代にはすでに、空びんを回収、洗浄し再使用する文化が生まれていたそうです。
なぜ日本にこのような文化が生まれ、また広まったのでしょうか?
それには日本のお酒の歴史が深く関わっています。
日本ではガラスびんが普及するよりはるか以前から、リユース容器が使われてきました。
それが陶器です。陶器は自然にある粘土を成形し乾燥させたのち、釉薬をかけて、焼成した容器です。
その始まりは縄文時代の土器まで遡ります。
土器は誰でも簡単に作れ、繰り返し使える食器、調理器具として人類の歴史と共に歩んできました。また木製の食器と違い、直接火にかけることができるため、人類に大きな進歩をもたらしました。
ただし土器は現代で言う素焼きの植木鉢のようなもので、液体の漏出を完全に防げるものではなく、保存容器としては完璧ではなかったようです。
日本では鎌倉時代頃以降に、土器に釉薬(ゆうやく)をかけて焼成した、密閉性の高い『陶器』の技術が広まります。ただし製造には特殊な材料や技術が必要で、庶民が日常的に使う食器、容器としての普及には時間が掛かりました。
そんな貴重な陶器より手軽な液体容器として古くから、瓢箪や竹を使った水筒がありました。これらは天然素材なので入手が容易で加工も簡単、庶民に親しまれてきました。
しかし江戸時代に入り、庶民が日常的にお酒を楽しむようになったことで、それは変わります。家でいつでもお酒が飲めるよう、風味に影響を及ぼさず、かつ密閉性の高い陶器の徳利(とっくり)が普及し始めたのです。
さらに江戸時代中期には、通い徳利と呼ばれる、商売が始まります。
客が酒屋で徳利を借りて酒を量り売りしてもらい、中身がなくなったら再び酒屋で中身を入れてもらう。そう、今で言うリターナブルの仕組みが生まれたのです。
この徳利を使った量り売りは、庶民の間に浸透し、明治時代後期まで日常的に行われていました。
しかしそんな通い徳利の文化も終わりが訪れます。
それが国産ガラスびんの普及です。
ガラスびんは舶来品として以前から日本には輸入されていましたが、明治時代に入り、その製造技術が日本で確立されたことで、急激に広まることとなります。そしてお酒を入れる容器として注目されることになるのです。